開くということ

  

こんにちは。早希です。

我が家には庭に大小桜の木が2本あるのですが、ようやく大きい方の桜が満開になりました。日々緑が増え、草花がものすごい速さで育っていきます。桜に限らず、長い冬の寒さに耐え、一気に芽吹き、花開いていく。北海道の春は本当に勢いがあります。

桜が日に日に咲いていくのを見ながら、ふと「開くこと」「オープンであること」に思いがいく。私は積極的に自分を開示することが苦手なので「オープンであること」が常に自分の中で大きなテーマになっているのだと思う。

ヨガの中で「ありのまま、あるがままの自分を受け入れる」ということがよく言われるけれど、私がヨガのトレーニングに入った時の自身のテーマがまさにこれだった。トレーニングを終える頃には、散々もがいたあとで、何かが弾けて「そのままでいい」そのことで本当に楽になって、幸せな気持ちになったのを覚えている。

その何年かあと、去年はヨガセラピー(PRYT)の600時間のトレーニングの真っ只中にいて、徐々に「あるがままの自分」がとても受け入れがたいものになっていた。自分の醜さや恐ろしさについてはある程度受け入れているつもりだったし、覚悟ができているとも思っていたのだけど、、、

YTTの時もそうだったけれど、トレーニングではその人に必要なプロセスが起こっていくのだと思う。でも全ては自分と向き合うことに繋がっていく。私にとっては本当に逃げ場がなくなっていく、そんな感じだった。

「あるがまま」は、結構(かなり)しんどい。私はまったくもって不完全だ。そう、でも不完全なことが完全でありパーフェクトなのだから!と繰り返し自分に言ってみても、私の奥底の意識はそれを正直受け入れがたい、というか拒絶してしまう。全部放り出したくなることもあった。実際1ヶ月以上課題にとりくむことも、セッションもできなかった時期もある。

以前の「あるがまま」は、全くあるがままではなかったことに気づく。そして今の「あるがまま」も現時点でのそれなんだと思う。「あるがまま」でいようとすることは本当に勇気がいる。人からどう思われるか想像するだけでも恐ろしい。このことについて、知らんぷりして毎日を過ごすこともできるんだけど、でも私は自分自身と繋がりたいし、人と本当の意味で繋がりたいという思いをやっぱり捨てられない。

その時に支えになったのが、ブレネー・ブラウンのTEDのスピーチだった。トレーニングで紹介されてみたものだけれど、私を本当に救ってくれたと思う。

https://www.ted.com/talks/brene_brown_on_vulnerability?language=ja

英語・日本語という言語の違いがもしなかったとしても、彼女が話していることを私はまだ全部理解できていないと思う。それでも彼女の話は私の胸を打つ。言葉を超えた何か深いところで共感や共鳴する感じ。自分自身を受け入れて、かつそのもろさをさらけ出した彼女から出るエネルギーがそうさせるんだと思う。その姿勢がとても神聖で美しいと感じる。

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